BESPOKE
10│接ぎ木のマグノリア
依頼者 ── 尚子さん 女性 東京都
装身具 ── 叔母のアメジストの指輪
素材 ── アメジスト、K18
「しらたまや生きて確かに老ゆるなり」 これは尚子さんの叔母様が生前に作った俳句だ。現在ライターとして活動している尚子さんは、亡くなられた叔母様から譲り受けたリングのお仕立て直しに来られた。素材はとても大きな、深い紫色のアメジストだった。
住まいは別だが叔母は家族同然の存在だった。尚子さんに妹が生まれ、その世話にかかりきりになった若き両親は、よく叔母の家に尚子さんを預けていたという。二人はよく絵を描き、言葉で遊んだ。葉書を送り合ったり、叔母が作った詩や物語に尚子さんが挿し絵を添えたりした。子供がいなかった叔母にとっても、幼い姪っ子との時間は温かなものだっただろう。尚子さんは絵と言葉の楽しさをこの時に身体で覚えていった。しかし尚子さんが十歳の頃、叔母様は四十代という若さで病気で帰らぬ人となり、その闘病の凄まじさに幼い彼女は会うことも叶わなかった。病床の最期の言葉は「ナオコによろしく」だったと母から聞いた。
喪失を体験した尚子さんは、中学生の頃、もう一度叔母の面影を探すように、残された俳句を読んだ。すると、あの明るく楽しげな叔母の姿からは想像できない、生きることの苦しみや孤独が滲む俳句が並んでいた。冒頭に載せた句もその一つである。「どうして人は苦しいのに生きるのか?」女性の地位も生き方も、まだ多様とは言えなかった時代。叔母が密かに抱えていたこの問いは自然と、思春期の多感な尚子さん自身の問いとなった。本や詩の一節、誰かの残した言葉に、その答えを見つけようとした。その後の彼女がライターとして生きることは必然の流れだったと感じる。
ライターとなり、それぞれの幸せを求め生み出す人たちの話を聞く。決して目立つわけではない、小さな灯火のような命の輝きを言葉として連ねていく内に、尚子さんは「人生は美しい」という答えの存在を感じ始めた。そして今もそれを確信したくて、人に会い、話を聞く仕事を続けているように見えた。
彼女はお直しのご相談の時から、新しい指輪には〈Magnoria〉という刻印を入れたいと話していた。 叔母はコブシの花が好きだったという。生前に送られた葉書の中に、「庭のコブシが咲きました。コブシは人間のたましいのようです」と書いてあったそうだ。幼い頃はそこに添えられたぎゅっと拳を握ったグーのイラストにしか目がいかなかったと言うが、今はその言葉の意図がわかる。コブシは大きな白い花を咲かせるが、太陽に茶色く焼かれ、あっという間に散っていく。コブシは叔母にとって儚い命の象徴だった。しかし、尚子さんは「私はハクモクレンが好き」と言う。コブシと似て非なるハクモクレンは、コブシとは違ってゆっくりたっぷり咲き誇る。彼女はその命のふてぶてしさが好きだと言う。
コブシとハクモクレンは英名では同じ〈Magnoria〉だ。叔母が命になぞらえたコブシの木に、あえて、彼女はハクモクレンを接ぎ木した。叔母が感じた「人生は苦しい」の上の句に、「それでも、この世は美しいのではないか」と言う自分なりの下の句をつけることにしたのだ。そこに辿り着くには時間が足りなかった叔母の分も、彼女はこれからもマグノリアの木を育て続けるつもりだ。
ものを受け継ぐということは、人生を接いでいくことでもある。尚子さんの心に植わったマグノリアは、毎年巡る春に、美しい白い花をたっぷり咲かせるに違いない。