'19AW Collection

Crystal - 水晶 -

Touch of the light and shadow'19

水晶。何色でもない、真っ透明なその鉱物。無垢であり、無味ともいえます。他の宝石と比べれば取るに足らないと思う人が多いかもしれませんが、私たちはそんな水晶に惹かれ続けています。

色のない石だから、中を覗き込みたくなるのは必然か。覗いてみても何もない、という訳ではありません。内包されるひび割れや小さな不純物が光の屈折を生んで、"掴めそうで掴めない"手品を見せられているような錯覚を呼び起こします。

水晶を語る上で、光の存在は欠かせないと思っています。太陽や電球のような光源を見ると、光だとはっきり認識できますが、そもそも目の前にあるものが見えていること自体、光があるからできることです。普段からその存在を意識することは無いものの、水晶のように透き通った素材を眺めていると、そこに光があるのだなと思わせてくれます。

水晶の裏側を塞いで、光を遮ったらどうなるでしょう。これはクローズドセッティングという石留め法で、石の加工技術が未成熟だった時代によく使われていました。石をよりよく輝かせたり、石の色合いを引き出すために行われたもので、石の裏に箔を貼って反射させることで、小さな石でもしっかりと輝かせようとした昔の人々の工夫の証です。不思議なもので、私たちは水晶を輝かせないためにそれをやるのです。

水晶はダイヤモンドのように無色、だけど輝かない。クローズドにすることで、光は水晶の中に溜め込まれます。白く霞んだような質感は、水晶が映す光の手触りです。そしてカットの陰影が、うっすらとした白とグレーで描かれます。水晶の中に入った光は影と共存しながらぼんやりと全体を明るくし、それでいてカットの面に撥ね返った光は水晶の瑞々しさを引き立たせる。色があり強く輝くような他の宝石には、出せない風景です。

水晶の美しさは探求すればするほど磨かれていくもので、私たちも初めの頃よりずっと水晶に心を掴まれている気がします。しかし水晶を美しいと思う感受性は私たちだけのものではなく、日本の文学を辿ると合点がいいきました。極め付けは『陰翳礼讃』の中の言葉。

ーーぜんたいわれわれは、ピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである。(中略)昔からある甲州産の水晶と云ふものは、透明の中にも、全体にほんのりとした曇りがあって、もっと重々しい感じがするし、草入り水晶などと云って、奥の方に不透明な固形物の混入しているのを、寧ろわれわれは喜ぶのである。

なんの変哲も無い真っさらな素材は、研磨されるごとに複雑味を帯びていきました。そうして生まれる光と影の質感は、私たちの心にしっとりとした心地良さをもたらします。

谷崎が呼び返そうとした陰影の世界が、水晶の中には今もありありと存在しているのです。