23SS BASIC update
JOURNAL for〈Earrings〉
横顔はとわずがたりに
耳飾りを着ける仕草と、その横顔の美しいこと。
両手で耳を包み込むように添え、そっと金具を閉じる。据える目線は悩ましく、睫毛の先までぴんと張り詰めるごとく緊張の糸が走る。いっぽう口元はほどけそうなくらいの柔らかさで結ばれ、吐息が音もなく霞んでは消えていく。鏡の中には映らない表情が、覗いて見える——
些か偏執的に回顧しましたが、耳を飾る横顔は本当に画になるものだと感じます。同じ女性としても息を呑むような瞬間を幾度も得てきました。
そもそも、横顔という未知の美しさに胸打たれるのです。
喜多川歌麿《高名美人六家撰 扇屋花扇》1794–1796年
横顔に心惹かれるのは何故なのか。鍵をひとつ、美人画の中に見出しました。独特の間と共に描く像から滲み出た、僅かな心の機微。像の魂を形作っている、意思ともいえましょう。それを見つけた時、単に佇まいの美しさだけではない感情の揺さぶりを覚えます。
多作として知られる歌麿も、女性の内面を描き出すことに苦心したといわれます。古今先達のこだわりには枚挙に暇がありませんが、仕草の横顔から覗く美の瞬間をつぶさに捉える視座は時代を超え、今日までに文化として根付いているように感じます。
私たちの耳飾りも、そうした横顔の美しさに寄り添うことを心掛けます。耳元に覗く、またちらりと揺れる小さな耀きは、存在してこそ、そのものが主役ではありません。種実に着想した自然のフォルム、素肌に溶け込むような質感や、横顔の印象を遮らないスケールと確かな量感のバランスは、手のなかでじっくりと試行して生み出しました。
つまり、耳飾りとは装身する人からは見えない、純粋な美を引き出す存在なのです。装いは女性の内側にある美しさを省み、己をより満ち足りたものに近づけていく—— 装身具の本質といえる、内なる贅沢をもたらすものです。
横顔の佇まいはあまねく女性の根底に密やかに、ただ確かに脈打つ普遍の美であり、語らずとも人の心に触れる何かを残します。それは暁月の下で慎ましく咲き出した花のように風雅な、天然の色気とも呼べるものかもしれません。
喜多川歌麿《高名美人六家撰 扇屋花扇》1794–1796年
salon MEDERU 5月企画展
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JOURNAL for〈Earrings〉
リリース予定:2023.5.13(土) ~
自らは見ることのできない横顔に、美しい個性が潜む。耳飾りは、意識の奥にあるその人らしさに溶け込みながら静かに艶めきます。装いから生まれる自然のままの女性らしさを探求た、mederuのゴールドピアスのラインナップ。ぜひご覧ください。
- salon MEDERUと各地での展示会caravanにて通年でご注文を承ります。
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