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JOURNAL for〈Earrings〉

横顔はとわずがたりに

耳飾りを着ける仕草と、その横顔の美しいこと。

両手で耳を包み込むように添え、そっと金具を閉じる。据える目線は悩ましく、睫毛の先までぴんと張り詰めるごとく緊張の糸が走る。いっぽう口元はほどけそうなくらいの柔らかさで結ばれ、吐息が音もなく霞んでは消えていく。鏡の中には映らない表情が、覗いて見える——

些か偏執的に回顧しましたが、耳を飾る横顔は本当に画になるものだと感じます。同じ女性としても息を呑むような瞬間を幾度も得てきました。

そもそも、横顔という未知の美しさに胸打たれるのです。

喜多川歌麿《高名美人六家撰 扇屋花扇》1794–1796年

横顔に心惹かれるのは何故なのか。鍵をひとつ、美人画の中に見出しました。独特の間と共に描く像から滲み出た、僅かな心の機微。像の魂を形作っている、意思ともいえましょう。それを見つけた時、単に佇まいの美しさだけではない感情の揺さぶりを覚えます。

多作として知られる歌麿も、女性の内面を描き出すことに苦心したといわれます。古今先達のこだわりには枚挙に暇がありませんが、仕草の横顔から覗く美の瞬間をつぶさに捉える視座は時代を超え、今日までに文化として根付いているように感じます。

私たちの耳飾りも、そうした横顔の美しさに寄り添うことを心掛けます。耳元に覗く、またちらりと揺れる小さな耀きは、存在してこそ、そのものが主役ではありません。種実に着想した自然のフォルム、素肌に溶け込むような質感や、横顔の印象を遮らないスケールと確かな量感のバランスは、手のなかでじっくりと試行して生み出しました。

つまり、耳飾りとは装身する人からは見えない、純粋な美を引き出す存在なのです。装いは女性の内側にある美しさを省み、己をより満ち足りたものに近づけていく—— 装身具の本質といえる、内なる贅沢をもたらすものです。

横顔の佇まいはあまねく女性の根底に密やかに、ただ確かに脈打つ普遍の美であり、語らずとも人の心に触れる何かを残します。それは暁月の下で慎ましく咲き出した花のように風雅な、天然の色気とも呼べるものかもしれません。

喜多川歌麿《高名美人六家撰 扇屋花扇》1794–1796年

salon MEDERU 5月企画展

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リリース予定:2023.5.13(土) ~
自らは見ることのできない横顔に、美しい個性が潜む。耳飾りは、意識の奥にあるその人らしさに溶け込みながら静かに艶めきます。装いから生まれる自然のままの女性らしさを探求た、mederuのゴールドピアスのラインナップ。ぜひご覧ください。

  • salon MEDERUと各地での展示会caravanにて通年でご注文を承ります。
  • サロンやキャラバンへのお越しが難しい方はオンライン上でビデオを繋ぐ「Online Boutique」にてご案内いたします。