little handsome
小指には何を着けますか。何も着けないという方もいるでしょうし、細くさりげないリングを着けているという方もいるでしょう。私は小指にシグニットリングを着けるというスタイルがとても好きです。
小指には何を着けますか。何も着けないという方もいるでしょうし、細くさりげないリングを着けているという方もいるでしょう。私は小指にシグニットリングを着けるというスタイルがとても好きです。
もしもこの初夏の風を描くとしたら、翡翠のような色をしているのではないだろうか、と思います。
私たちは懐かしくて美しいものを作るのだと、実感させてくれたのは初めて白蝶貝での創作に取り掛かった時だったように記憶しています。もう6年以上前のことです。
グレーという色をとても魅力的に思います。絵具のチューブから出すグレーは重たい鉛のような色ですが、私たちが何より印象的だったのは真珠のグレーです。
今季に限らず、私たちは長らく水晶の透明性を見つめてきました。その性質上、何も手を加えなければガラスのように光が通り抜けるだけ、手を施しすぎると他の影響を大きく受けて印象が様変わりしてしまう。
敬愛する陶芸家にハンス・コパーという人がいます。彼の作品を見ていると、器というよりも彫刻作品のような美しさを感じられるのですが、それは"器"という機能である以上に、空間と調和した佇まいにあるのではないかと思います。そこにあることでその空間の静けさを際立たせる。コパーの作品のように、本来そこにある美しさを引き出すデザインを、今シーズンも考え続けました。
出会った小さなダイヤは、水滴のようでした。 ダイヤは輝くものだという根強い認識がある中で、私たちはダイヤの日常性に触れてほしいと感じていました。そもそもダイヤを輝かせられるようになったのは、近代のことです。あまりに硬いその石は、手で自在に細かく削ることが困難で、手仕事の時代のカットではそれほど輝かなかったのです。けれど、そこには現代のような白銀の煌めきはなくとも、瑞々しい水面のような透明感が浮かんでいました。ダイヤの本質は輝きではなく、透明性。そこから私たちはオールドカットを探求し、当時の潤みを引き出すような、オーセンティックなアプローチで〈Rosier〉として仕立ててきました。
今年はアトリエ前の八重桜が2週間ほど早く咲きました。いつどこから訪れるのか分からない脅威が世界に溢れている中で、季節や自然が今も美しくいてくれていることは、人としての暮らしを保つ上での心の拠り所のように思います。皆さまはお元気でいらっしゃいますか。私たちは元気です。
年が明けて初めての寄稿となりました。今年はずいぶんと暖冬で、梅の花も早咲きでした。他の花に比べても、梅の花は好きです。他の樹々が裸になる寒々しい冬の空に、無骨な枝から小さな花を咲かせる姿が、実直でたくましい。寒いのは得意ではありませんが、この景色は冬が誇る美しさです。
ダイヤモンドは女性にとっての憧れであり、また、ジュエリーという存在の象徴というイメージも持たれているものかと思います。けれども私たちは敢えて、日常の中でのダイヤのあしらいについて考えを巡らせてきました。つまり、ダイヤをそう特別に捉え過ぎなくても良いのではと思っています。
ゴールドは、柔らかく温かなもの。 人の手からジュエリーが生み出される様子を初めて目にした時、金属は硬くて冷たいものではなかったんだと実感しました。そんなジュエリーだったら、ずっと身に着けていられるかもしれない。
Gold&Diaは、私たちがBasicとして探求しているコレクション。特に〈Je t'aime〉というゴールドリングから始まったメデルとしては、ゴールドからスタンダードなフォルムを見出だすということにとても重きを置いています。
赤と青と黄の光を混ぜると、白い光になる。空が何色に見えるかは、この光の波長の仕組みによる。これを学んだ時には不思議で仕方ありませんでした。一方で、赤と青と黄の絵の具を混ぜ合わせたら、黒色が生まれる。
一枚の絵が目に留まりました。スークで地面に腰をおろし、籠に盛った柘榴を売る少女。フランスの画家ブグローが描いたものです。この少女を描いたポートレートもあり、柘榴を手にした彼女のはっきりとした黒い眉と眼差しがとても美しいものでした。
画家の藤田嗣治の回顧展を観に行ったとき、渡仏した直後に藤田は冬のパリの曇り空を「真珠のような空」と表したと綴られているのを目にしました。